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2009年11月12日
しおのえ今昔◆繊峙豌浩堯廚函嵜群浩堯
「旧温泉(場)」

明治末期の塩江集落
▲明治末期の塩江集落

明治末期の温泉場
▲明治末期の温泉場
現在の温泉場(現在の旧・湯元塩江温泉華乃荘付近)の西北、旧県道沿いあった約二五〇平方メートルの二階建て温泉浴場。二階には休憩室もあって、初めての公衆浴場として、相当の浴客を集めていたが長続きせず、明治四十四年(1911年)に閉鎖、建物は木田郡東植田村菅沢(現 高松市東植田町)にある菅沢分校の校舎として売却された。

明治・大正時代の塩江温泉場(村営)
▲明治・大正時代の塩江温泉場(村営)
明治四十四年二月十四日、香東川南岸の現在地(現在の旧・湯元塩江温泉華乃荘付近)に工費一六〇〇円、建坪一三二平方メートルの浴場が新築された。また、大正十二年(1923年)七月、香徳自動車株式会社経営の旅館および温泉場が旧温泉入口付近に建てられ、この温泉と道路を隔てて東側に洋風二階建ての食堂も建てられ、付近一帯は温泉地としての雰囲気を作って、一時観光客を集めていたが長続きはしなかった。

旧温泉付近(昭和12年)
▲旧温泉付近(昭和12年)

昭和初期の旧温泉付近図(クリックで拡大)

▲昭和初期の旧温泉付近図(クリックで拡大)

おいでまい!しおのえ温泉郷〜

「新温泉(場)」


昭和初期の塩江温泉街
▲昭和初期の塩江温泉街
手前の洋館は食堂で、その向こう側に香徳自動車経営の温泉場の一部がみえる。遠く左寄りに新装になった新温泉場があった。

ガソリンカーと塩江駅
▲ガソリンカー(塩江温泉鉄道)と塩江駅

昭和初期の新温泉場 焚峅偉拘枋庄弔硫浩場・正面および内部)
▲昭和初期の新温泉場 焚峅偉拘枋庄弔硫浩場・正面および内部)

昭和初期の新温泉場◆焚峅偉拘曄川側)
▲昭和初期の新温泉場◆焚峅偉拘曄川側)

昭和初期の花形だった少女歌劇
▲昭和初期の花形だった少女歌劇

塩江温泉鉄道開通と並行して、新しく旅館花屋直営の温泉場が花屋旅館(現在の行基の湯〜自然休養村センター前広場付近)の東隣に建ち、観光塩江に異彩をそえた。この建物は洋風二階建てで、当時としてはモダンな建物であった。一階には浴場・休憩室・売店・遊戯場・理髪店などがあり、二階には演劇場も作られ、温泉専属の少女歌劇が数年にわたり年中無休で開演され、「讃岐の宝塚」と宣伝して浴客の人気を集めていた。

塩江温泉街と塩江温泉場
▲塩江温泉街と塩江温泉場


川のある風景「香東川水系」

昭和初期のものと思われる塩江温泉とガソリンカーを写した絵はがき。わらぶき屋根、旅館街、温泉郷のにぎわいがうかがえる(塩江町・藤澤茂基所蔵)

一葉の古びた絵はがきがある。香東川沿いに立ち並ぶ民家。わらぶき屋根も見える。その間を縫うように一本の軌道が走り、鉄橋上を一両編成の小型列車が行く。画面奥には豪壮な旅館も並んでいる。

タイトルには「塩江駅付近」とある。昭和初期のわずか十年余をひた走った全国でも珍しい通称ガソリンカーの勇姿と、一大リゾート地としてにぎわった塩江温泉郷のたたずまいだ。

ガソリンカー。正式名称は塩江温泉鉄道株式会社。昭和四年十一月、香川郡仏生山町(現高松市仏生山町)から塩江町(現塩江町安原上東)まで約十六キロで営業を始めた。ガソリンエンジンを積んだ四十人乗りの小さな車体で「マッチ箱」と呼び親しまれた。昭和十三年、琴平電鉄に吸収合併され、同十六年には戦時統制下のガソリン不足で廃業した。

「高中(現高松高)の二年から五年生まで世話になったよ。塩江六時二分発の始発で仏生山まで行き、琴電に乗り換え、何とか八時の始業に間に合ったもんだ。でも、冬場はよくエンコして『また塩鉄か』と遅刻のたびに言われたのを覚えている」と話すのは、冒頭の絵はがきの持ち主で塩江町在住の元医師藤澤茂基さん(七五)。

同鉄道が開通した四年十一月十二日付の香川新報(四国新聞の前身)は第一面全部を割いて紹介。「運転時間わずか四十分で鉱泉わきいづる阿讃国境の山あいに達す。新温泉場も同時開場」の大見出しが躍っている。

「そりゃ、当時の温泉のにぎわいは今の比ではないよ。専属の少女歌劇で”四国の宝塚”をうたい、花屋旅館では菊人形や盆踊り、花火大会などが催された。街中には芸者置屋、カフェ、映画館、円タクと、まさに讃岐の奥座敷を自認していた温泉場」と話すのは塩江町在住の元教師藤澤憲一さん(七三)。

なぜ仏生山−塩江だったのか。「琴電八十年史」などによると琴電の培養線として高松南郊の自然郷開発と一帯の文化更正に寄与する意図があったらしい。郷土仏生山の歴史を研究する橋本タカ子さん(六八)は「当時の仏生山は法然寺を中心とした交通と文化の要衝。おねはん(涅槃会)などのにぎわいぶりは、羽織が脱げてもわからなかったという逸話を残すほど」とし、塩江や琴平、高松などへ通じる人や文化の交流拠点であったと強調する。

廃線から五十年以上を経て、ガソリンカーや沿線の模様を知る人は年々減る一方だが、その軌道跡には往時そのままに残る物や新たな形で生きる物もある。
                     (『四国新聞』平成七年二月)

昭和初期の新温泉付近図(クリックで拡大)
▲昭和初期の新温泉場付近図(クリックで拡大)

塩江温泉観光地図
(新修『塩江町史』より)
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